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   書記言語によるコミュニケーションに関する実証的研究

弘中洋志(Hiroshi Hironaka)



1.はじめに


 電子メール、チャット、ブログ、掲示板…。
 インターネットを用いたコミュニケーションツールとして、以上のようなものが思い浮かぶが、これらは全て、いわば「書かれたもの」である。
 インターネットメディアの利点や有用性や危険性に関する議論の多くが「新しいメディアを受容、するか否か「電脳空間を是とするか、非とするか」といった観点からのもので「書かれたもの」という観点からのものは少数である。
 本論文では「書くこと」によるコミュニケーションの特徴について明らかにしていくと共に、それを活かした国語科の授業実践を通じて、学校教育において「書くこと」によるコミュニケーションを取り入れていく必要性について論じたい。


2.書記言語によるコミュニケーションについて


 私は、書記言語を「ことば(もしくは「ことばらしきもの」)としての役割を期待されて書き、記されたもの」である、としている。
 文章や文字言語という語を用いず、書記言語という語を用いる理由は「☆」「(^_^)」 「♪」のような絵文字、顔文字を中心とした新たな「ことば」が生み出されているが、これらは一般的に言う文字ではないので、文章とも文字言語とも呼べないため、である。また、メールなどの文面は「了解」。「OK」などのように一語、一文で、辞書的な意味での文章とは呼べないない場合もある。
 インターネットの普及により、メールやチャット、掲示板など、様々なメディアにおいて書記言語によるコミュニケーションが広がっていることは、その善し悪し、賛成や反対は別にして、受け入れなければならない事実であろう。
 では、書記言語によるコミュニケーションの特徴として挙げられるものは何だろうか。今回は、メールによるやりとりと電話によるやりとりとを比較し、分析を試みた。そのやりとりの一部を以下に記す。なお、Kは私の小学校以来の友人である。


<メールでのやりとり>
弘:久しぶり〜。最近調子はどうよ?何か変わったことあった?
K:最近ね〜衝撃的だったのあるけど・
  Cメール(人物名A―弘中編集)に送ってみたら違う人だった・その人に、早く本物の(人物名A―同)さんを見つけれるといいですねと励まされたよ・
  な、なんじゃそりゃー・いい人だ・
  てかサイボーグ技術の奴見た?
  (注:「・」の部分は文字化け―弘中)
弘:文字化けしてるから、次からは絵文字(?)使わないで〜。
  あ〜、見てないわ。寝てたもんで。どんなだった?興味はあったんよね。
K:あぁ悪いねm(_ _)m
  サイボーグ技術は甲殻機動隊ってアニメみたいな感じやね!頭で考えたら機械がその通りに動くしカイバチップって脳にパソコンのCPUみたいなの埋め込めるし、鼠とかなら遠隔操作で操れるし、まぁ道徳間の問題になるらしいが、アメリカが戦争に使うために研究してるらしく!
  鬱やパーキンソン病を起こす頭の負の感情を流す信号に電気流して抑圧して治したりするのはもう実用化してるみたい!
  この技術の善し悪しを考える時間って少ないみたいだね!
  ていうかこの説明しまくりなんですが!皆見ないね↓
弘:へ〜。ふむふむ。メカニズムはよく分からんけど、すごそうってのは分かった。後、みんなが聞かないのも分かった(笑)
  まあ、道徳に関しては難しい問題だよね。クローンとかじゃなくて治療のようなものだから批判が少ないんだろうけど、それでいいの?って気もするし・・・。
K:まぁ治療は俺的にはありだと思うよ!
  テレビでパーキンソン病の人見てると涙出るもん!手足のいうことがきかない!ありゃ死にたくなるね!*1
  てか日本が機械の手を動かしてるシーンがあったんだが指を五本厳密に作ってるとこが笑った!
  ここが長所なんだろね(*^_^*)
弘:うんうん。
  指の話は俺も昔聞いたことがある。長さを変えるとか。あれ、違う話かも(笑)
K:それはわからんが↓
(以下、省略)


<電話でやりとり>*2
弘:なんしよん? 最近
K:最近はねぇう〜んぐうたらテレビみよるね【笑】
弘:ぐうたらテレビか何? 面白いテレビ何? 最近ずっとみよるのは…
K:え〜とあの… 今みよったのが(番組名A)なんやけど
弘:(番組名A)?
K:う〜ん(番組名A) あの〜 科学番組で〜
  (放送局A)がやりよるやつで
弘:うん
K:で〜 あの土曜日7時くらいからやりよるんかな?
  で今再放送でやりよったけぇみよってん
(中略)
弘:そのさっき言いよった番組はなんなん?
K:ああ(番組名A)?
弘:うん
K: (番組名A)ねえ
弘:うん
K:あの〜〜〜 なんか最先端の科学とかぁ
弘:うん
K:う〜ん最近身近にあったものとかを〜 題材にしてやりよるやつなんやけど(タレント名A)とかが司会で
弘:ととかって
K:やっていきよんよね
(中略)
K:ま〜 あの〜 ま今日の要点で言うと
弘:うん
K:金色のカブトムシがかっこよかったっつうことやね
弘:知らねえよ
K:なんかねぇあの〜 なんかねえカブトムシなのにねぇ
弘:あ〜ん
K:なんかあの〜 なんっついうんけえあれ
  え〜〜〜とねえカナブンみたいなねぇ
  最初カナブンと思ったんやけどお
弘:うん
K:なんか金色カブトムシみたいな
(以下、省略)


 この二つのやりとりは、どちらもあるテレビ番組に関する説明が中心となっている。なお、メールで出てくるテレビ番組と、電話で出てくるテレビ番組はそれぞれ別のものである。
 この二つを比べる限り、メールによるやりとりでは「考える時間があるため、伝えたいことが表現しやすい」「発信する前に見直すことができる」といった特徴があることを導き出すことができる。一般的に、メールやインターネット上の掲示板等、書記言語によるコミュニケーションでは、顔が見えないため、ニュアンスが伝わりにくいため危険である、と言われている。だが、それが書記言語によるコミュニケーションを全否定する理由にはならない。顔が見えないことにより、相手にせかされることがなく、じっくり考えることができる、とも言えるからである。
 しかし同時に、書記言語によるコミュニケーションは、考える時間や打ち込む時間がかかる、という特徴も有している。同じだけの情報量のやりとりでも、電話に比べ、メールの方が数倍以上の時間がかかる。また、それは相手から反応が返ってくるまで時間がかかる、ということでもある。内容によっては、発信者が返信を待つ間、不安で仕方ない、という事態も起こり得る。
 他に考えられる特徴として、音声言語はその場にいる人全てに受信される可能性があるが、時間が過ぎれば記憶にしか残らない書記言語はそれを読まれる人全てに受信される上記録として残るが、受信者を選択することが音声言語での発信に比べると容易である、といったものが挙げられる。そして、自分の意図していない受信者に伝わる場合、音声言語の際は「伝言ゲーム」のように変容する危険性を秘めているのに対し、書記言語の場合は、発信したものそのものは基本的に変容しない。この際、自分の意図していない受信者に伝わった時点で、発信そのものによって傷ついたり、怒ったり、といった不愉快な思いをする人がいるであろうことはどちらも同じである。自分の意図した受信者の気分を害することがあるのも同様である。これをもってすぐさま書記言語の有用性とすることはできないが、それまでの経験で、音声言語で発信することに抵抗感を抱く人間にとっては書記言語による発信の方が行いやすいのではないか、と言えるだろう。もちろん、その逆も考えられる。
 音声言語と書記言語、それぞれに利点があり、欠点があるのだから、結局のところ、どちらが良くてどちらが悪い、などと決めつけることはできない。ただ、私は、何かを説明したり、自分の意見を述べたり、といった、じっくり考えて発信したい場合は書記言語の方が適しているのではないだろうか、と考える。
 しかしながら、以上の考察には課題が残る。今回はメールと電話との比較、分析のみしか行っておらず、チャットのように、瞬間的なレスポンスを求められる場合にも同じようなことが言えるとは限らない。チャットとメールでのやりとりとの類似点は「顔が見えない」「書記言語によるコミュニケーション」であり、相違点は「場の共有性」である。メールは「場の共有意識」が希薄であるが、、チャットはかそれがなり強い。
 今後は、チャットと対面状況での雑談を録音・文字起こししたものとを比較するなどを行い、書記言語によるコミュニケーションの特徴として帰結できるものを模索していきたい。


3.書記言語によるコミュニケーションを導入した授業実践について


 本節では、私が講師として勤務しているA高校の1学年、3つのクラスで行った「好きなことばで交流しよう!」活動の授業実践を分析し、書記言語によるコミュニケーションを取り入れた授業の意義について述べていきたい。
 本活動は、学習者に「好きなことば」とその意味や好きな理由・思い入れ・出典などを書かせ提出させ、集めたものを「好きなことば集」としてまとめて配布し、その中から、共感できた、いいと思ったことばにコメントを書かせそれをコメント集として配布し読んでみての感想を書かせるという流れで行った。
 「好きなことば」を書かせたのは「ことばに意識を向けさせる」「自分の好きなことばを考えるの」を通じて、自分のことを見つめさせる」ためである。交流をさせたのは「他の人の好きなことばを知り、自身の世界を広げさせる」「書記言語によるコミュニケーションを経験させる」ためである。
 本活動は基本的に書くことのみで行い話し合いやスピーチなどはさせていないまた好、きなことば集」も「コメント集」もそれを書いた人間は匿名にした。
 例として「好きなことば」を一つと、それへのコメントをいくつか載せる。なお「好きなことば集」には個のことば(内、弘中のものが個/同じものでも出してきた学習者が違えばカウント)が「コメント集」には322個のコメント(内、弘中のものが18個)が載せられている。


【仲間】
 精神的にキツい事があったけれど、仲間が一緒にいてくれて、励ましてくれたから今こうしてここにいられるんだと思う。
 支えになってくれた仲間に心から感謝しています。ありがとう。
(コメント)
・このことばの意味に、私も共感できました。
・人には絶対に必要なもの。
・共感できるから。
・仲間をふざけてバカにしたりするときがある。だけどこの「仲間」という言葉を聞いて改めて仲間の大切さを考えさせられた。
・仲間は大切なものだと思ったし良いと思ったから。


 それでは、本実践について、学習者に書かせた感想プリントを使って、分析、検討を行っていく。感想プリントには、以下のつの3設問を設けている。


1.自分の「好きなことば」へのコメントを読んでの感想を自由に書いてください。
 ( 好きなことば」を書いていない人、載ってない人は書かなくて結構です)
2. 自分以外の人が書いた「好きなことば」へのコメントを読んでの感想を自由に書いてください。
3.今「好きなことば」を書いてください。また、枠内に理由や意味等、書ければ書いておいて、ください。なお、いくつ書いてもらっても構いません。( 好きなことば集」内のことばでも、「それ以外のことばでも構いません。また、自分で作ったことばでも構いません/「好きなことば」だけ「好きなことば集(最終バージョン」として配布します。)。


 回収でき本研究の資料として使用可能であると答えた生徒たちの感想プリントは106枚ある。@「自分の「好きなことば」にコメントがあって嬉しかった、他の人の「好きなことば」や考え方を知ることができて楽しかった、など、この活動を通じて自分にとってためになった、良かったという記述」A「今「好きなことば」の記述」が書かれているものの数と、感想の一部を載せる。
 ただし、@の人数に関してはあくまでも私の主観であり、思っていても書かなかった学習者もいると思われるため、参考程度に考えていただきたい。


@91枚/106枚
A100枚/106枚(ことばの数は120個/同じことばはカウントせず)


<感想の一部>
「私の言葉に共感してくれる人がいて、すごくうれしかった」。
「自分が書いた事を掲載されるのは、誰だってうれしいことだと思う。(匿名であれば…)もっとこんな授業をして欲しい、」
「皆のことばをよんでるとすごい鳥肌がたった。ことばでの交流授業すごくいい!」
「みんな意外とちゃんと読んでいることに驚いた。くだらないことを言って笑う以外脳のない連中かと思っていた」。
「みんなけっこー真剣に読んでいるんだと思って安心した。(自分も真剣に読んでいるので…。)」
「(「大事なものができたら死んでも放さない、守りぬく」ということばに対してのコメントとして―弘中注)私にも本当に本当に大事なものがあるから、それは何があっても絶対に、命をかけて守ろうと思う!!!これを大人が聞いたら「まだ高校生のくせに…」とか言うかもしれないけど、高校生の私にだって、命をかけて大事なものはあるんだっっっ!!!!!」
「あなたが生まれた…」(「あなたが生まれた時、周りの人は笑ってあなたは泣いたでしょう。だからあなたが死ぬときはあなたが笑って周りの人が泣くような人生を送りなさい。」という「好きなことば」の一つ―弘中注)のコメントの中に僕のも入っていたけど、みんな同じようなことを考えていたようなので、とてもうれしくなった。」


 @に関しては、「共感してもらえてうれしかった」「自分の「好きなことば」にコメントがあって、うれしかった」といった意見が多く見られた。また「掲載されること自体がうれしかった」という意見や「他の人の「好きなことば」や考え方を知ることができて良かった」という意見もいくつか見られた。形に残るからこそこのような感想が多く出てきたのではないか、と考えられる。
 しかし「「好きなことばで交流しよう!」では他の人の好きなことばやその言葉に対しての思いを見ることができるがコメントを見てうれしいコメントがあったりするが逆に嫌なコメントを書かれている事がある」といった感想もあった。他にも、感想として書いてはいないが不安を抱えていた。学習者もいたのではないか、と考えられる。いかに交流に入る前に払拭できるか、が課題となる。
 Aに関しては、最初の「好きなことば集」に比べ、そこまで大きな増加ではないものの、着実に人数、ことばの数ともに増えている。また、調べる時間がないにもかかわらず、出典が書かれているものがいくつもあった。普段から意識して様々なことばを探すようになった学習者が増えているのではないか、と推察できる。
 本実践の成果として、


 ・書記言語によるコミュニケーションを導入した活動が学習者に受け入れられたこと
 ・「匿名による交流」が学習者の意欲喚起につながることを述べられたこと
 ・学習者が「好きなことば」の交流を手がかりとして「自分」に目を向けることや「他者」に目を向けることができる、ということを述べられたこと。


を挙げることができる。また、課題として、


・相手に踏み込む、踏み込まれる交流ではないため、どこまで深く学べたか、ということに関してはどうしても疑問が残る点
・現時点では、であるが、一度しか交流を行うことができなかった点


 が挙げられる。
 本実践を通じて、学習者の多くは、誰かとつながっていたい、という欲求を抱えているのではないか、ということを感じた。「コメントが書かれていてうれしかった」、といった感想にそれが如実に表れているのではないだろうか。匿名ではあっても、それは同じ学校にいる同級生の誰か、である。その誰かとつながることができた、ないしは今後つながれるかもしれない、と思えたことは非常に価値のあることではないだろうか。
 また、私が実践前に考えていたこととして「本音ではないことば」「飾られたことば」ばかり出てくるかもしれない、というものがあった。そして実際にそのようなことばも出てきていただろう。しかし、私は「ことばにすることが心、思い、行動に影響する」とも考えている。ことばにすれば、する前には思ってもなかったことでも極端に言えば嘘であっても本当になっていくのではないかということである。あまりにネガティブなことば( 「殺す」「自殺」など、ダイレクトなものから「この世に希望などない」など)だと良くないが、そうでないものであれば、たとえ「飾られたことば」であっても表現することに意味がある、と考える。即ち、ことばで表現させることそのものに意義がある、と考えるのである。
 さて、本実践は学習者の誰もが作者になること誰もが読者になることを可能にした実践である。それはクラスで見せている学校で見せている自分をベースにしながらもそこでは見せていないあるいはなかなか見せられない自分を表現することができる、ということである。匿名だから良かった、といった感想は見られたが、そこまで意識できている、即ち感想として書くことができている学習者はいなかったものの、このことが大きな影響を与えていることは確かであろう。本実践を行う前に一番危惧したことは「好きなことば集」を読んでのコメントはほとんど出てこないのではないだろうか、ということである。だが「コメント集」は「好きなことば集」以上の分量になった。コメントを書く、というのは読者として発言する、ということである。そこでの自分は「ありのままの自分「普段見せている自分」ではなく「そのことばに共感した、感動した、その場でしか存在し得ない自分」である。もちろん、その共感や感動は後々も残るであろう。しかし、コメントを書いた自分はその場限りでしか存在しない。これは、書きやすさを助長する、表現意欲を喚起することとともに、自分自身を見つめさせることにもつながっていくのではないか、と考えられる。
 加えて、私自身が実際の学習者を見ていると、あるいは他の先生方の話を聞いていると、現代の高校生は「自己肯定感が低い」ということをよく感じる。マス・メディアによる報道や社会情勢など、様々な原因が考えられるが、その一つに「自分を、価値のある人間として見つめる機会が少ない」ということがあるのではないだろうか。
 書記言語によるコミュニケーションは、まず自分がいなければ始まらない。そして書くということ自体、自分自身と向き合う契機となる。そうやって自分と向き合った結果生み出されたことばを他者に認められることで、自分の価値を高めていくことが可能である。それは、その場限りという意味で短期的にも、また形として残るという意味で長期的にも可能である。私は、これらのことから学校教育に書記言語によるコミュニケーションを取り入れていく必要性があることを強く感じている。そして、それは一回限りではなく長期的視野を持って行っていくことが必要であろう。


4.おわりに


 私は「自己決定、自己表現ができる」人間を育てていきたい、ということを根底に持ちながら生徒と向き合っている。そして、文章表現教育は、その有効な方法である、という思いを持って本実践を含め、授業を行っている。今後も進めていきたい。


5.主要参考文献


池上嘉彦『記号論への招待』岩波書店、年1984
太田正夫『<新版> 想像力と文学教育』創樹社、年1987
太田正夫『ひとりひとりを生かす文学教育』創樹社、年1987
太田正夫『十人十色を生かす文学教育―『ひかりごけ』の授業を中心に―』三省堂、年1996
大西道雄『コミュニケーション作文の技術と指導』明治図書、年1998
香山リカ+森健『ネット王子とケータイ姫悲劇を防ぐための知恵』中央公論新書、年2004
黒崎政男『デジタルを哲学する時代のテンポに翻弄される<私>』PHP研究所、年2002
黒崎政男『情報の空間学』NTT出版、年1999
外山滋比古『知的創造のヒント』講談社、年1977
正高信男『ケータイを持ったサル』中央公論新書、年2003


【注】


*1これはKの弘中に向けた発話であり、パーキンソン病の人々への発話ではないが、この認識はそういった人々の立場に立てていない、という意味で適切とは言えない。そのことを踏まえた上で実際のやりとりを尊重する意味で提示した。
*2?は語尾を上げた音【笑】は笑い声、…は少しの間、〜は語尾を伸ばした音を表記。


(『教育学研究紀要』第51巻、中国四国教育学会、2005) 





Copyright (C) 2005 Hiroshi Hironaka


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